
第 4 回 袁紹:後漢王朝の行方 |
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私が袁紹。字(あざな)は本初だ。
名族中の名族・袁家の長である。 我が袁家が名族たるゆえんは、「四世三公」を輩出したことにある。 つまり、四代に渡って「三公」を輩出した名誉ある家柄なのだ。 では「三公」とは何か? 今回はその点について、この袁本初が直々に説明するとしよう。 後漢王朝の頂点に位置するのは当然ながら、皇帝陛下である。 だが、皇帝といえども天下の政治すべてをみることはできぬゆえ、 皇帝を補佐し、政治をつかさどる宰相(大臣)が必要となる。 後漢においては、その最高位にあるのが「三公」なのだ。 「三公」とはすなわち、「太尉(たいい)」「司徒(しと)」「司空(しくう)」の3つを指す。 筆頭となるのは「太尉」。これは軍事の最高責任者だ。 「司徒」は国家・人民を統括し、「司空」は土木・水利事業を担うというわけだ。 そうはいっても、名族たる袁家が歴任してきた三公などの高級官僚が、後漢王朝において長らく軽んじられてきたのも事実。 それは、歴代の皇帝は幼くして即位することが多く、皇帝の母、すなわち皇太后とその親戚がたびたび権力を握ったからに他ならぬ。 この親戚勢力を「外戚(がいせき)」という。 外戚が政治を私物化したため、本来ならば政治をつかさどるべき官僚の権限が削がれたのだ。 一方、外戚には逆らえず、操り人形となるしかない幼い皇帝も、成長すると自ら指揮を執りたくなるというもの。 そんな時、唯一頼れるのが、常にそばに侍る「宦官(かんがん)」だった。 宦官は皇帝の身の回りを世話する下役人に過ぎないが、やがて皇帝の信頼を得て、増長していく。 こうして後漢王朝は、外戚と宦官の二大勢力が政治を牛耳り、我ら名族の権勢は、その実力にそぐわぬものとなった。 結果、「三公」も形ばかりの存在になってしまったのだ。 そこで名族の長たるこの私が武を振るい、長年宮廷に巣くう宦官どもを誅してやった! 我が名も大いに高まり、漢王朝も正常な姿に戻る、はずだった……。 だが……この混乱の隙を突いて、暴虐無道な董卓めが、朝廷を掌握し、新たな皇帝を立ててしまったのだ。 さらに三公の上に「相国(しょうこく)」などという役職を設け、自らその座に就きおったのだ! ……ままならぬ世の中よ。 この乱世こそ、私のような名家出身の英雄こそが三公筆頭となって鎮め、安定をもたらさねばならんというのに。 とにかく今は、秩序を軽んずる董卓ら、乱暴な輩をこの名族たるこの私が、誅することが先決である。 そのためにも、兵をさらに鍛えねばなるまい。さらばじゃ! |